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日本画 菊池芳文

菊池芳文 通天秋雨

菊池芳文は1862年に生まれた明治から大正期に活躍した日本画家です。妻が日本画家の菊池契月であることも有名です。大阪に生まれた菊池芳文ですが、表具師である三原三郎兵衛の次男として生まれています。その生まれの待遇が功をそうしたのか、画業で生計を立てて行くキッカケを早い段階で考えていたそうです。そんな菊池芳文ですが、まず滋野芳園に師事し技術を学び始めます。そしてその後の1880年、幸野に師事をしており絵画の基礎を学び続けていくのです。師事を初めて間もない頃は何となく、趣味的な技術を磨いて行くような流れで勉強を続けて行ったのですが、徐々にその才能を見出した幸野にの勧めによってそのまま内弟子として本格的に画家としての第一歩を歩み出します。ここからの絵画修行は厳しいものでとにかく、師の絵画の掠れまでも模倣したり、西洋美術を取り入れる修行もあったりと、自らの可能性に殻を閉ざすような絵では無く、広く可能性を広げるような作品を作る修行をし続けて行ったのです。その後、彼に画家人生を変えるキッカケとなる第1回内国絵画共進会展での出品です。ここで銅賞に輝き、本当の画壇人生をスタートさせます。そしてその後にも、維新黎明期の展覧会に初入選、京都青年絵画共進会での第1席、さらには1893年にはシカゴ万国博覧会での出品など、大活躍をするようになっていくのです。そんな菊池芳文の描く作品は、やはり鍛錬な訓練を積んできた者にしか描くことのできない、独創的ながら芸術の基礎がなっている作風で描かれます。 1902年に制作された「通天秋雨」は全体に淡く、美しい幻想を見る者に与えてくれるような、美しい日本的な作品です。繊細で写実的な筆遣いで描いている思いきや、大胆な構図で日本画における最先端を走っているような、斬新な作品にも見受けられなくもありません。晩年にいくにつれ、数多くの秀作を生み出し続けた菊池芳文ですが、その後の美術界の未来へも貢献をしていきます。文展の第1回展の審査員を歴任したり、自らの技術を惜しみなく後世に伝えるために主宰した菊池塾の開門など、計り知れない功績を残していくのです。師を信じ、その力を自らの芸術に昇華し、そして打ち出した菊池芳文。彼のような素晴らしい芸術家の存在した時代があったからこそ、今の日本画界の発展があると言っても過言ではないかもしれませんね。

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